浅き夢の世界へ

月: 2007年8月 (3ページ目 (4ページ中))

何気ない休日

 相変わらず喉、鼻の調子が悪いのですが、薬を規則正しく飲み始めて、昨日はすごく楽でした。で、練習も出来ず、一日ゴロゴロしてたのですが、あまりの暑さに、ついにクーラーのある部屋に逃げ込みました。通称趣味の部屋からソファーベッド引っ張ってきてクーラーのある和室へ。思わず、極楽極楽って無意識につぶやいてました。おじいちゃん、おばあちゃんみたいです。
 で、今日も練習は止めております。まあ、あまりダラダラするのもなんだし、午前中、掃除、洗濯しました。特に、庭の草がやばかったので、昼前に草引きしました。昼前に動くのは危険だと、自分の身をもって確認する事が出来ましたね。汗が止まりません。しかも、薬飲んでるからか変な汗です。終わった後、米を切らしていたのを思い出し、実家にもらいに行きました。ついでに、野菜ももらってきました。早速、枝豆茹でてます。あぁ、またビールを飲んでしまう・・・。

焦り

 いろいろな犯罪や事故が多発し自分の身は自分で守らなければならないような世の中ですが、実際に身近で起こると焦るもんです。昨日の夜8時から会議があったので、それまでに夕食等の買い物に行った。その帰り道、高速の側道走ってたところ、すぐ後からすごい音、その後、クラクションが鳴り続けた。恐る恐る後を見ると、軽ワゴンが横転している。大変と思って外に出たのだが、自動車のところまで行っても何をしたら良いのか、一瞬分からない。隣の敷地は土建屋のようで、作業服姿のお兄ちゃんが怒鳴るように携帯で電話している。救急車か警察を呼んでいるみたい。すると、車からヒョコっと頭が出てきた。若い女の子、自力で立ち上がったようだ。土木作業員さんの一人が、「大丈夫か」と声をかけると「大丈夫じゃない」、「他、乗ってるか」「私、一人」と答えていた。この辺で私も正気に戻り、とりあえず、後から来る車の交通整理をした。少し手前で曲がれたので、そこまでバックしてもらい、そちらに車を流す。その交差点でしばらく交通整理しているうちに、作業員さん何人かで、女の子引き上げて車から出し、横転した車を起こし、自分たちのフォークリフトで事故車を会社の敷地まで運んでいる。ちょうどそれくらいに救急車の音が近づいてきた。事故現場の散乱したガラスなんかも作業員さんが、片付けていた。道路の真ん中にハザード出して車止めたので慌てて車に戻り、もう、出来ることもなさそうだし、会議が始まるので、その場を後にした。
 しかし、いざとなると、焦ってしまいますね。まず、運転手や搭乗者の状態を確認すべしです。車の誘導も、発炎筒と三角形の安全標識を置いておけば、それを見た車は勝手に回ってくれます。そうすれば、私も現場の手伝いが出来ました。反省することばかりですね。次にそのような現場に出くわしたら注意したいと思います。出くわさない事を祈っていますが・・・

喉、鼻、やばし

 昨日は午後から実家の墓参り。その後、親戚の方々と飲食を共にしました。で、飲んだのでそのまま実家に泊まり今朝帰ってきました。この前医者に行ったときに薬をもらって帰ったのですが、2食分、飲み忘れてました。すると今朝は鼻、喉がかなりひどい状況です。特に喉はかなりの不快感。最近では一番やばい。まあ、この前みたいに出血はしてないようなので安心ですが・・・。昨日の飲酒も効いているのかも知れません。とりあえずお酒は控えることにして、一刻も早く治して気持ちよく走りたいところですね。しかし、本当にちゃんと治るのでしょうか・・・、最近、不安です。

硫黄島からの言葉

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 本社の方の事業で平和映画鑑賞会と戦争体験者の講演があった。竹内 昭さんという方で硫黄島からの生還者。隣の市に住んでおられて、京都で生きておられるのはこの方一人らしいです。83歳との事ですが、マイクがいらないくらいの声で話していただきました。印象に残ったのは勇敢な青年の話。硫黄島が陥落しても2ヶ月ほどは抵抗されていたようで、敵の火責めから穴を掘って濠を脱出。直後、一人の青年がアメリカ兵の陣地に突っ込んで行ったそうである。そして、日本兵が潜んでいるあたりをアメリカ兵に教えるため、自分も一緒に戻ってきたそうだ。竹内さんが自害のため、手榴弾のピンを抜いた瞬間、その青年に腕をつかまれ、結局、崖の方に投げて、一命を取りとめたそうです。生き残るという選択肢を与えられなかった現地では、この青年の行動は大変な暴挙ともいえます。しかし、簡単に自害する何倍、いや何百倍も勇気のある行動であると私は思いました。硫黄島関係の映画が立て続けに公開されましたが、私はまだ見てません。良い映画だったと聞きます。しかし、司令官や英雄の立場じゃない、一人の兵の話を直接聞くのは、大変貴重だと思いました。今日は、長崎の原爆投下日。1年に1度や2度くらいは、戦争や平和について真剣に考える日があっても良いかなって本気で考えた1日でした。

朝青龍問題を考える

 スポーツ紙等で朝青龍の記事が紙面をにぎわしてますね。なんか最近は親方が悪いような論調が目立ってます。しかし、私は大相撲の世界が取り続けて来たシステムがおかしいのでは、と思ってしまいます。
 横綱って言えば、相撲の世界ではトップですよね。しかし、外国人力士がそこまで登りつめても、将来の見通しが立たないのではないでしょうか。日本国籍が無ければ年寄株が取得できない、年寄株が無ければ相撲に係わる仕事が出来ない、帰化して年寄株取得しても結局うまくいかない可能性が高い。曙なんかを間近で見て来た現役外国人力士にとっては切実な問題ではないかと思います。こうなれば、引退後帰化して相撲の世界に貢献したいという外国人力士は無くなり、現役時代に行けるとこまで登りつめ、稼げるだけ稼いで第2の人生考えようってなるような気がします。自分の国に帰ればヒーローですしね。国技という言葉にあぐらをかき、年寄株という利権に守られた役員が本気で考えなければいけない問題では・・・って素人ながら思ってしまいます。
 まあ、私としては、朝青龍はどちらかというと嫌いなので、精神や肉体を鍛える武道やスポーツの世界にいながら、精神的に病んでしまうのは、本末転倒であり、自業自得かなって感想でオチにしたいと思います。

長引く風邪の謎

 さて、練習をしばらく休む事にしたのですが、歯医者さんから言われた、ちくのうかもって言葉が気になってました。いろいろ調べておおよその症状はつかめました。鼻水が喉の方に落ちてくる状態が続いているんです。で、今朝起きてやはり口の中に違和感があったので、洗面所でペッと出したところ、我が目を疑いました。で、思わず一言

なんじゃこりゃ〜

 吐き出したものが、黒いんです。さて、問題です。どうしてでしょうか?

1.イカスミスパゲッティを食べたから
2.おはぐろをしている
3.実は宇宙人だった

 う〜ん、3番かな・・・って一人でボケてる場合じゃないですね。よく見てみると血が固まった時の色のよう。ペッペッペッと何回か吐き出したら、普通に戻りました。とりあえず、仕事も落ち着いているので、休みをもらって医者に行きました。
 で、結果はちくのうと同じ症状ですが、慢性的なものでは無いようです。副鼻腔って鼻と通じている空洞が顔の頬の辺にあって、そこが炎症を起こしているようです。風邪がキッカケですね。試合の疲労からか、炎症がひどくなってたみたい。膿等が喉の方に落ちてきて、刺激するため咳も長引いてたようです。次に風邪ひいた時は、うち(耳鼻咽喉科)に来てもらえば早く治りますよって言われました。なかなか風邪が治らない野郎だったのですが、ようやく謎が解けました。
 いや〜、この数日で思いました。当たり前のことですが、やはり健康が一番ですね。

計画的休養

 7日 練習休養

 さすがに疲れが取れません。それほどのペースでは無かったので、筋力的には全然追い込めて無いのですが、体がおかしいです。明日くらいから走り出そうと考えてたのですが、少し休もうかなとも思ってます。10日に実家の墓参りがあるので、その後くらいから始動しようと思います。
 今日は地元の花火大会。最近、全然行って無いですね。基本的に花火は好きなんですが、人ごみが嫌いです。終わってからの車の渋滞もシャレになりませんしね。まあ、小規模の花火でも満足なので、目の前の大学の学園祭で十分ですね。今晩は家でゆっくり休みながら音だけでも楽しもうと思います。

体の曲がり角

6日 練習休養

 ふと、晩に目が覚めた。少し歯が痛む。実はしばらく前から歯が痛む事があったが、数分で治まることが多かったので、歯医者の物色はしていたが行けてなかった。すぐにマシになるだろうと思ったのだが数分で痛みがMAXに・・・。強烈な痛み、ベッドの中で唸る。唸っても痛みがマシになるわけでもなく、必死に薬箱まで行き頭痛薬を飲んだ。歯痛にも効くので何とか痛みもマシになり、寝る事ができました。そして今朝、さすがに歯医者に行ってきました。中学以来かな。そのときのイメージ、ギュイーン、ガリガリ、独特のにおい、さすがに足が重い。しかし、診察を受けてみると、レントゲンやら歯の写真、歯茎の検査、結果を椅子の前のディスプレーに表示して説明していただきました。親知らずの虫歯、抜くしか無いそうで、とりあえず、二つ返事でお願いした。麻酔の注射針痛いよなって思ったのですが、今は痛みを緩和する薬があるんですね。知らなかった。時代の流れを感じてしまいました。そして、先生からレントゲン写真の説明して頂いているとき、どうも、鼻のへんに少し影が写っているとのこと。「ちくのう」かも知れないそうです。う〜ん、何だか体がボロボロですね。とりあえず、今度は耳鼻咽喉科に行くことになりそうです。

祝!完走

亀岡選手権 3,000m 11’19”
      1,500m 5’13”

 冗談で目標は完走と言ってたが、もう、かなりのダメダメぶりだった。体調を崩していた事や暑さを差し引いても、これほど走れない事は今まで無かったと思う。3,000の試合で10分以上かかったのは初めてかも。1,500も5分は切れると思ってただけにショック大。と、まあ落ち込んでもしょうがないので次頑張ろう。
 昨日は、本当に暑かったです。昼前の競技場の気温は38度に達していたそうだ。私は審判もしているので朝からかなり忙しく、出場OB選手にかまう事もほとんどできない状況。走り終わって一休みしてから審判に合流したのだが、相変わらず、キビシイ大会運営である。私の担当、出発係は3名なのだが、年配の方一名、倒れそうになっておられました。終わる頃には私も限界でしたね。ちなみにOBチームは心配していたリレーも想定外の飛び入りがあり、全登録種目、無事に終えることができました(約1名除く)。来年はOBチームでもう少し組織的に動きたいものです。
 で、終わってからみんなで食事でもと誘ってもらったが、あまりにも、疲れてたのでキャンセルして帰りました。ビールと軽い食事を取ってバタンキュー状態。目覚めたら月曜日の朝・・・のはずだった。

ジュニア期の問題

 私もたまに手伝いに行く陸上教室で、明日の試合に向けての練習会があったようですが、その中で保護者からのクレームがあったそうです。女子のリレーなんですが、前の大会でバトンミスがあったらしく、その走者の順番を変更しろとの内容。その中で、「また失敗したら誰が責任とるんや」みたいな事まで言われたらしい。うちの教室では、ハッキリ言って、ほとんど専門的な事はしません。まあ、練習無しでリレー走るわけにもいかないので直前の今日練習したようです。陸上って単調な競技ですし、小学生のうちから専門的なことをさせたり、目一杯練習させるのは、陸上競技を嫌いにさせるリスクを高めるだけと思います。そんな方針が良いのか分かりませんが、中学校でも多くの子どもが続けてくれてますし、そこから活躍する子どもも多い。小学校と中学校で安心してバトンの受け渡しができているワケで競技力の向上につながってます。しかし、保護者の中には、より専門的にとの希望も多少あるようですね。そうすれば、小学生の内から好成績が残せる。この辺はなかなか難しい問題です。スポーツ関係の部署にいたこともあり、中学に入った途端、膝の手術しなければならない元ミニバスの選手や、肘が使い物にならなくなった少年野球選手も知ってますしね。保護者の方々にも長い目で見ていただきたいものです。

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